【76・〆さばヒカル】平成18年10月27日(金) 第76回





〆さばヒカルが死んで1ケ月が経った。少し落ち着いたので追悼文でも書こうと思う(言っておくが、真面目じゃないからね。芸人仁義で追悼させてもらう)。ヒカルは6月に劇症肝炎を発症、7月に意識不明を乗り越え一般病棟へ移り、8月に自宅療養の許可が出て退院、9月に『目黒のさんま祭り』の寄席で復活を果たしたが、体調が優れず山形へ帰郷、そのまま黄泉の国へと旅立った。よく堅気の仲間の中に「仲間がバイクで死んだのさ、とってもいい奴だったのに」とギザギザハートなことを言う奴がいたが、私自身は38年間生きてきて初めての経験だったので戸惑った(ちなみにバイクに乗ってた仲間もいたし、とってもいい奴もいたけど死んだ奴はいなかったの意)。しかも、ヒカルはこの世に2人しかいない五分兄弟分のひとりだ。もちろん、漫才の相方を亡くしたもうひとりの五分兄弟分である〆さばアタルの悲しみは俺との盃じゃ溢れてしまうと思う。とにかくヘコんだ。「ショットガン坊や」ぐらいヘコんだ(ヒカル、わかるよな?)。

私が放送作家に憧れ、たけし軍団作家部(仮称)でダンカンさん付きになったのが昭和63年6月、18歳だった。その後、浅草キッドの兄貴たちに預けられ、「作家の修行も芸人の修行も一緒」と芸人になったのがその年の10月。当時は東中野の『スーパーギャグパフォーマンス』というライブの前座だった。このライブは確か、その年の暮れに解散。そして、昭和64年新春から浅草キッドの兄貴と共に今度は渋谷109の『渋谷NOW!』というライブに移る(自慢じゃないけど、「昭和最後の芸人」と呼んでくれぃ)。その年の4月にたけし軍団入団志願兵として『渋谷NOW!』にやってきたのが「水呑み百姓(どんなコンビ名だ?)」、のちの「〆さばアタルヒカル」だった。初舞台が半年しか違わない「ほぼ同期」ということや、アタルが同い年でヒカルが1歳下ということもありスグに仲良くなった。舞台では良きライバルとして戦ったが、プライベートでは良き悪友だった(意味がわからん)。仏さんに悪いので細かくは書かないが(笑)、とにかく「飲む・打つ・買う」と何でもして遊んだ遊んだ。アタルは高校時代にそれなりに悪いことはしてきたらしいが、ヒカルは高校時代まで真面目だったから、すべて20歳になってから始めた真面目な不良だったかな。

私は予定通り?23〜24歳あたりから放送作家兼芸人に転身。2人の初レギュラー番組となる『ラジオ・ブロンクス』(ニッポン放送)では私も初チーフ作家になれた。『高田文夫プロデュースOWARAIゴールドラッシュ2』(ニッポン放送)では座付き作家として漫才の観せ方を練りに練り込んで優勝を勝ち取った。グランドチャンピオン大会では「海砂利水魚」のちの「くりぃむしちゅー」に惜しくも敗れて泣きに泣いたな。その他にもFMラジオでは『ブービートラップ』『はいぱーとらっプ』(共にJFN)、ライブでは『原宿NOW!』『浅草NOW!』『常盤座・放送禁止ライブ』『オフィス北野ライブ』『すっとこどっこい』『お笑いリングス』そして、現在も続いている『お笑いセメントマッチ』…といつも一緒だった。『WARAKASHITE‘90』というライブでは楽屋代わりのショーパブの厨房で生ビールを勝手に飲んで、突然やってきた店の社長に怒鳴られた時まで一緒だった(笑)。ヒカル!俺とアタルも天命が来たら天国に行くから、その時は厨房の生ビールを勝手に飲んだり、いけすのアジを勝手に捕まえて食べたり、俺の飲酒運転の車のトランクに乗って吉祥寺から新宿まで飲みに行こうぜ(良い子はマネしちゃダメだよ)!!

〆さばヒカルと言えば思い出すのが…ヒカルの故郷「山形」である。我々、たけしチルドレンにとって山形は、たけしさんの相方のビートきよしさんの故郷。そして、ツービートの漫才の定番ギャグでもあった。ツービートの漫才の中では「いまだに土葬(古墳か!)」だとか、「お父さんが山形で初めて立って歩いた人(直立猿人か!)」だとか、「コーラの瓶で村がもめる(ブッシュマンか!)」などで使われていたので「どんな田舎なんだ?」と思っていたが、通夜と告別式に行って驚いた。そんな田舎だった(笑)!しかし、ヒカルの生まれた鶴岡市湯野浜は何か見覚えがある。実は粋で鯔背な江戸っ子(自称)である私だが、両親の祖父母の故郷は共に新潟県長岡市寺泊になる。幼い頃はよく先祖の墓参りを兼ねて海水浴に連れていってもらったものだが、その幼い頃に見た景色にそっくりなのだ。地図を見ると山形県鶴岡市湯野浜と新潟県長岡市寺泊は海に面していて、海岸線の直線距離ではかなり近い。つまり、中学時代に水泳部部長として湯野浜で泳いでいたヒカルと私は同時期に100kmと違わない同じ日本海で泳いでいたことになる。そんな2人がビートたけしという「時代の怪物」に導かれて出会うことになるのだから、出会いとは不思議なものだ。ちなみにヒカルとアタルは『ビートたけしのオールナイトニッポン』が放送されていたニッポン放送にそれぞれ弟子志願として訪れ、初対面なのに意気投合しコンビを組む奇跡の出会いを果たしている。これを我々は「出会い系漫才師」と呼んでおります(ケーシー高峰さんも山形県出身)。まったく余談だが…アタルは泳げない(笑)。

もうひとつ、山形県鶴岡市湯野浜で驚いたことがある。葬儀の際、一部風習の違いがあった。[その1]お参りする時に祭壇に置かれた茶碗の水を柄杓で新しい水と入れ替える。これは初めて見た。さすがにやり方がわからなかったので東京から行った関係者はお線香のみの人が多かった。昔はお線香の代わりだったのか?あまりお線香を焚くと煙いからか?「死に水」と関係あるのか?よくわからない。これも大きな余談だが…ヒカルは昔、ラジオで「死に水を飲む」と言った(笑)。[その2]通夜式でお坊さんがお経をあげたあと近所の同じ宗派の方々が来て、さらにお経をあげる。これも初めて見た。和風な聖歌隊みたいな格好を女性たちが歌うようにお経をあげるのだ。しかも、長い(笑)。女性たちが経本のページをめくるたびに、正座をしている参列者からため息がもれた。[その3]葬儀を終えて家に入る時に口に味噌をふくんで水でうがいして吐き出す。これには衝撃を受けた。「これは何のためですか?」と親戚の伯父さんにお聞きしたら、「お清めで塩を服にかけるますよね?あれと同じで口の中も清めるんです」と聞き取りづらい山形弁でおっしゃった。だったら、塩でいいのではないだろうか?キチンと葬儀社が持ってきた「味噌吐きテーブル(そんな名前か知らないが)」があったのでヒカルの家だけの風習ではないようだ。ちなみに程近いの新潟県長岡市寺泊はごく普通の「当たり前の葬儀」を行う。強いて変わってる部分を言えば、日常でアナゴを棒に刺して味付けもなしに丸焼きにして食うぐらいだ。特徴は脂が強くて、腸が苦くて、見た目がヘビの死骸みたいでかなりグロテスク(笑)。これを私は「新潟名物なんだろうなぁ」と思い子供の頃から何の疑いもなく食べていた。ところが数年前に法事で行った時に当たり前のように食べていたら、寺泊の山側に住む伯父さんに「正雄ちゃん(本名)、なに気持ち悪い物を食べてるんですか?」と聞き取りづらい新潟弁でツッコまれた。名物じゃなかったんだ…(笑)。ヒカルも「当たり前の葬儀」で送られたと思ってんだろうなぁ。ヒカル、かなり違ったぞぉ(笑)!

 

ベン村さ来




『と言えば思い出すのが・・・』

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written by ベン村さ来